Vtuber視聴者が本当にもとめていたもの
↓の記事がTwitterで回ってきて面白かった
記事の趣旨とはちょっとずれてる気がするけど思うこと書く
VTuberは変質し、配信はリアリティーショー化した。加えて、FaceRig/Live2Dによる廉価化により、大規模に視聴者を囲い込める企業が優位に立ち、スーパーチャットによる商業化も同時並行で進んでいる。
これは同意。
初めは面白ければ企業である必要はなかった(=個人勢が伸びるのではと思っていた)が、
個人勢の自由さを取り込んだ企業勢が、実質的に囲い込みをしている
個人勢を知る機会が少なく、注目されるのは個性的なクリエイタータイプが多いように思う
もしかしたら、自分は本当は地域の管弦楽団に所属しているが、設定上は高校のサークルかもしれない。三ヶ月前の設定と矛盾しないように。Twitterで勝手に作られた属性もきっちりとこなさなければ……。
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個人で配信している人々は、極めて残念であるが、むしろバーチャル性を捨てることで対処する。
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この転換は、もう一つのラベル――インターネット上のファンからつけられたラベル――を無視することをも可能にする。というのも、すでに彼/彼女たちはその人であるとしか見えておらず、友人に対して勝手につけたあだ名を本人が使わないのに対して怒らないのと同様に、別に生身の人間がインターネット上でつけられたラベルに反した行動をとっても問題を見いださない。
筆者は残念なことだと書いているが、自分としてはそうだとは思わない
むしろいいことだと思う
シロちゃんやミライアカリが面白かったのは、本人の意思が感じられたからだろう
別にキャラ設定が面白かったわけではない
顧客が本当に求めていたものはなんだったのか? と私は考える。アニメから出てきたYouTuberだったのだろうか? 変なことを言って楽しませてくれる電脳世界のキャラだったのか? 最先端の技術と結びついた、リアルタイム3D技術だったのか? それとも、人-キャラ-設定の三つ組みが相互作用しながら発展していく、哲学的に深遠なところのある娯楽だったのか? それとも? それともなんだったのか?
筆者はキズナアイからVTuberを知って、シロちゃんがお気に入りだったとのこと
私もシロちゃんは好きだけど、ならなぜ上のような議論になるのか
私が求めているものはアバター付きのyoutuber/ニコ生主である
配信者が感じたこと・考えたことを話す、それが好きだ
そこに人間味が入りすぎるとしらけるので、1枚壁がほしい
2D/3Dのアバターがそれにちょうどよかった
キャラ設定なんてただのおまけ
面白いことをしているyoutuberに人間味を感じて近づけなかったので
それを消してください
そしてオタク文化にちょっと理解があるとうれしいです、くらいのもんだ
これからもただただ雑談し続けてほしいVtuber
卯月コウ / 月ノ美兎 / かしこまりとパンディ(ヨルタマリ)
だが、実際は、すでにVTuberは視聴者のおもちゃになっていた。極めて侮蔑的で、このようなcaveat無しでは書けないのだが、はっきり言うと、VTuberは、『馬鹿な女をおもちゃにして楽しむコンテンツ』になりつつある。自由に茶化せる配信者。何を言ってもいい女。英語ができない女に単語テストをやらせて、馬鹿な回答をしたら「草」と書くコンテンツになっている。令和のヘキサゴンかよ。島田紳助にでもなったつもりか?
ここは耳が痛かった
いくら本人がよくても、このての笑いはよくないよな